沿革
伊賀医師会の起源は古く明治六年にまで遡ります。記録によれば、富山淳道医師が中心になり明治六年に伊賀国医師会を創立し、同時に治療病院も建設されました。その年の干支が癸酉(みずのととり)であったことから癸酉(きゅう)医会と称したといいます。明治39年5月「医療法」が、翌40年3月「医師会施行細則」が発布されて、阿山郡医師会となり活動が続きました。大正13年には伊山慈恵医院が建設されていす。
太平洋戦争中は多数の医師が軍医として召集されました。昭和20年8月終戦とともに日本医師会組織は解体され、新生日本医師会として立ち直り敗戦後の医療を支えました。
伊賀医師会はその傘下にあり、戦後の医道の昂揚、医学医術の発達普及と地域医療の向上を図り、社会福祉を増進する事を目的として昭和22年11月に設立されました。
平成2年5月、現在の活動拠点である伊賀医師会館が上野市(現 伊賀市)四十九町に完成し、平成10年2月には社団法人伊賀医師会創立50周年記念式典が行なわれました。
平成25年4月1日、一般社団法人に移行することで一般社団法人伊賀医師会に名称変更し現在に至っています。
医師会活動
- 住民保健事業
- 学校保健事業
- 産業保健事業
- 介護保健事業
この四分野にわたり、積極的に活動しています。私達は、地域に根ざした医師であり、地域医療を担う一員として市民の皆様の健康を支えるのが役割であります。その責任の重大性を認識し、自覚を持って、接し、医療に臨みます。新しい医学の知識と技術の習得にも努めています。
医師そして医療機関が信頼されて、受けた検査・治療に納得し、そして安心していただける医療を提供したいと、私たちは常にそう願っています。